さいきん心がささくれ立っている。
原因は分かっているが取り払えない。
ならば自分の心持ちを変えるしかない。
…というわけで献血と写経のコンボを決めてみた。
献血は言わずもがな、血液と引き換えに無料ジュース、セブンティーンアイス、各種記念品を貰えるのみならず赤十字社のスタッフさん達がちやほやしてくれるという年に数回の素敵イベント。
ちょうどラブラッド(献血予約とがができるアプリ)のポイントもたまっていて洗濯ネットをもらったし
キャンペーンでストレス軽減ドリンク剤ももらった。職場で飲もう。
献血はマジで一番確実に自己肯定感がアップする。オススメ。
写経は平安貴族もやっていた高貴で敬虔な宗教活動。
色んなお寺が写経体験を広く勧めているんだからきっとなんか素敵な気分になるに違いない。
そう期待して献血のあとにやってみた写経。定番の般若心経。
2時間半くらいかかった。
わたしの後に来た人たちが次々と帰ってしまい、ひとり残った写経部屋…しんどい。
「筆の持ち方が分からん」「文鎮の正しい置き場所がわからん」「はらいが上手くいかない」「肩めっちゃ凝る」「墨を付け直すタイミングが分からん」「『蜜』の『必』の部分の書き順がわからん」「上手に書きたい」…等々の邪念にまみれながら書き上げた2時間半。
書き終わったときに「前向きな種類の何か」が湧いてくるもんだとばっかり思っていたのに、達成感すら湧かず心は“凪”。
そんな自分に落胆して、虚無感に苛まれながら帰宅した。
しかもなんか、スタッフの人に「コイツ信心ないな」ってバレてる感じがした。被害妄想(?)かもしれんけど。
自分なりにマナーは守っていたつもりなんだけども、ああいうのは滲み出るものがあるんだろうね…。
友人たちと数名で入った喫茶店のマスターが「占いができる」「オーラが見える」とか言い出して盛り上がっているときそのマスターに「あなた、占い信じてないって顔に書いてある」って絡まれたことを思い出した。
写経に対する期待が過剰だったのかもしれない。
進研ゼミの勧誘マンガみたいに、たちまち心が晴れて仕事も人間関係もうまくいく…みたいなものだと思っていたのだろうか。
宗教活動ってそういうミラクルを期待して現世利益の邪念まみれでやるものではなく
不毛と思われることを何回も繰り返しているうちに心持ちとかが変わってくるもんなんでしょうねえ。頭では分かっているんですよ。
でも私は進研ゼミですら続かなかった人間なんです。信心もないです。無理。
あと写経できるお寺に行くまでの人ごみが無理。
大きいお寺のある所って門前町が栄えているから混雑しているんだもの。無理。
だからといって小さいお寺のディープな写経会とかは一人でバイキングいくより無理。
それこそ信心ないのが透けて見えてお寺に無意識な失礼行為を働きそう。
自分と宗教との間には親和性がない。という学びだけを得ることができた日だった。