龍谷ミュージアムへはこれまで交通費をケチって阪急大宮駅から徒歩で行ったことしかなかったんだけど、歳のせいか疲労か、もう無理そうな気がしたのでJR京都駅から徒歩で行った。近かった。
数年ぶりに来たら、1階にあったショップ兼カフェ(くろちく)が前田珈琲になっていた。
京都は美術館・博物館内カフェに前田珈琲が入ってるのが多くないか?私が知ってるだけでも京都国立博物館とココと、あとマンガミュージアム。病院内コンビニにローソンが多い現象(わたし調べ)みたい。なんかノウハウがあってお任せしやすいのかね。
ホットサンドおいしかったです。まわりの人たちはみんなナポリタン食ってました。
図録を買って荷物が重くなったのでせっかく京都に行ったけど他に観光などはせず帰宅。
帰りの電車の中で、とくに印象に残った作品「童子跪坐像」ついて思いを馳せていた。
この像は底にカーブがつけてあってロッキングチェアみたいにお辞儀する仕掛けになっている。
子どもの死者が獄卒に謝っている姿を表しているそうな。
↑お粗末なスケッチでお送りします(上のチラシにも小さく載っています)
この像に限らず、この展覧会に“みちのく”からやってきている神像・仏像は、上方や江戸の仏師に発注した正統派なご本尊の仏像とはべつに「それはそれとして…」て感じでその土地で暮らす人たちのニーズに応じて地元の大工さんや僧が作成した、普段使いの(?)木像だ。
ぜんぶ木像なのも特徴の一つだと思った。木が一番身近で豊富な材料なんだろうな。
地獄の役人・十王がたくさん展示されているところの「江戸時代の人々は自分は地獄行きだとあきらめながら生活していた」的な解説文は何か自分にとって新しい価値観というか歴史観みたいなものを得られた気がした。
みちのく は漁業や林業が盛んだ。
漁師なんて毎日命懸けで漁に出てるうえに殺生までしているわけで…林業も命懸けだし気候も厳しい。
江戸や上方といった第二・三次産業が中心の町と比較したら並々ならぬ切実な信仰があったんだろうとか思いながらそれらの木像を見るとなんか切なさがある。
宗教とか信仰の本質について思いが巡る。
前述の童子像は、これを発注した人はきっと自分の子どもが亡くなっていて、昔は「親より先に死ぬと賽の河原で石を積まされる」的な親不孝の罪だとされていたから
地獄の鬼とか閻魔様とか十王とかに謝ってる像によってなんとかその罪を軽くしてあげたいという親の切実な願いがあったんだろうなあ……なんて考えてうるっときた。(泣いてはない)
それはそうとJR京都の伊勢丹にあるマールブランシュで秋限定のクッキー缶を見た目に魅かれて自分用のお土産に買ったのだけども
名物「茶の菓」の見た目がお土産っぽいせいで侮っていたわ…
めちゃめちゃ美味しいやないか…🤤
以上です