LOSTMAN NEED BLUES DRIVE MONSTERS

神経質で性格が悪い人のブログ。ブーメランな意見を述べがち。消しがち。更新が多いときは調子が悪いときです。更新がないときはもっと調子が悪いときです。情報商材いりません。

なにわのなにくそ精神

逸翁美術館に行ったついでに「落語みゅーじあむ」(池田市上方落語資料展示館)に寄ってみた。

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月一落語会があるときの木戸銭以外は無料で、豊富な書籍、DVD、CDが館内閲覧し放題という手塚治虫記念館並にアツいミュージアム手塚治虫記念館は有料です

 

池田が舞台の落語『牛ほめ』と『猪買い』についてめっちゃ詳しく解説してあって、『牛ほめ』はきいたことあるから楽しめたけど『猪買い』はまだ知らないので、きいたらまた来ようと思う。
てか時間がなくてDVDやCD視聴できなかったからそれ目当てにまた行きたい。

 

視聴する時間がなくなったのは1階の本棚にあった『上方芸能』という雑誌のバックナンバーを読んでいたから。

創刊号から最終号までたぶん全刊揃っていたのではないだろうか。

1968年創刊、 2016年廃刊。

創刊号から暫くはページ数が少ないのでキングファイル的なものに纏めて入っていて、よく知らないけどたぶんすごく貴重なのではないかと思われるそれらが畏れ多くも手軽に読める本棚にさしてあった。

 

そのときメモを取ったりしてないのでこれから書くことは固有名詞も何もかもめっちゃくちゃうろ覚えなんですが、なんか時間の経過とともに沸々と怒りのような感慨が押し寄せてきたのでどうしても書く。

細かいところ間違ってるかもしれないのでマユツバで読んでください。

 

創刊号からすこし後の号に、演芸評論家が上方落語をクソミソに貶す文が載っていた。

その評論家の苗字は「か」で始まってて下の名前はひらがなだったことしか覚えてないのでK氏とする。ぼかしてるのではなく本当に覚えていない。

文章もうろ覚えなのでニュアンスだけども
K氏曰く(1968年ごろの)上方落語
大阪弁が気に入らん
・排泄物で笑いを取ろうとしてるのおもんない
・噺の途中に鳴り物が入るのはサービスのつもりかも知らんがウザい

…らしいですわ。(実際の文章はもちろん標準語)

上方落語大阪弁が気に入らんのならもう聞くのやめるしかなくない?

と思って次号を見たら、別の人がKさんに向けて反論…というか上方落語を擁護する文を書いていた。

上方落語や地方の笑いの背景など、あと「パリのムーラン・ルージュではオナラを鳴り分ける芸人がサラ・ベルナールよりもギャラが高かった」という豆知識などが書いてあったと記憶している。

で、そのまた次号だ。

「K氏からの反論」が掲載された。

意訳:「あのぉ〜wwそちらさん必死?ダルぅ〜wwお金くれるっていうから書いただけの文章なんですけどwwwなんかそんな長文で反論されてもサァwww読む気ないし知らないヨwww」(←私の色眼鏡で見た超意訳)

エッ!?素人の感想文やったん?って思って前々号を見返したら、K氏の人物紹介に「演芸評論の権威」みたいなことが書いてあるし著書に“落語のススメ”的なタイトルの本もあるのよ!全部うろ覚えやけども!

私の体がSNSだったら大炎上してたところだった!!

当時の落語がいかに江戸落語中心で、いかに上方落語が見下されていたのか、その一端を見た気がした。

どんだけ貶されても、その人なりの理由があってちゃんと反論にも説明できるなら「批評」として成り立つけど、あれは批評家として責任持って書いた文章じゃなかったということか。

この演芸評論の権威からすれば江戸落語こそが評論するに値する落語なのであって、上方落語は「お金くれるっつーから仕方なしに文章書いてやったけど印象だけの感想文で済ませてOKな深く知る価値もないもの」とみなされていた…ってこと?

なんかゾッとするね。

それでいて編集後記には「K氏にまたもやご寄稿いただきました」とか書いてあってどんだけ立場が下なのだろうかなんて思ってしまった。杞憂だったら誠に失礼な話ですが。

 

戦後に上方落語がいっかい「滅びた」っていわれてから米朝さんたち四天王が復興させたーーという知識を知ってはいても、こういう辛酸を舐めるような場面を目の当たりにするとなんか堪えるね…。

 

その頃の上方落語噺家さんたちはそういう見下しとかを多々経験されて、『なにくそ』って頑張ってきたのかなぁなどと思ってこんな日記を書くに至ったのでした。

 

「なにくそ」って私の出身小学校の先生たちがよく使ってたなあ。

「失敗しても『なにくそ!』って気持ちで何度でもチャレンジしなさい」とかご託宣されるたびに
「『なにくそ』って先生しか使わん言葉やな〜何なん『クソ』ってw」くらいしか考えてなくて
これまで人生を振り返ってみても「なにくそ」なんて思ったことは一回もないんだけれど

戦後上方落語の歴史には「なにくそ」が詰まっているのではないかという仮説。

それがクソのことで上方落語をクソミソにテキトーこいたK氏への無言で軽やかな意趣返しになっていたらいいな…などと無理やり絡めてオチにしてみる。

 

しかし今現在でも“全国の”若手噺家を対象にしたコンテストで「審査基準は『江戸の風』が吹いてるかどうか」とのたまう評論家がいるらしいと風の噂で聞いたり聞かなかったりするんで、まだまだなにくそなんかなぁ。

 

なんて、ヨネスケさんのYouTubeから落語を聞くようになったから関西住みのくせに江戸落語から入ったわたしが偉そうなこと書いてるわー。ごめんなさい。