※タイトルと本文のミュージシャンに関係は全くありません。
打ちひしがれている。
こんなことで打ちひしがれてしまう自分自身に打ちひしがれている。
思春期のころ、疎外感とか「普通」に学校を楽しく過ごせない(かといって不登校になるほどの何かがあったわけでもない)、そんなモヤモヤに寄り添っててくれた音楽を作っていた人のライブに行った。
これまでも何回かそのミュージシャンのライブに行ったことはある。
ファン層が自分より少し上で、ライブハウスで前方にいったとき周りのアツいファンたちが「年下だったら微笑ましいかもしれないけど、年上の人たちが痛いのってわりと辛いな」という雰囲気だったので、いつも後ろの方で観るようにしていた。
しかし今回は全席指定のホール公演だった。
1階の中央付近の席が当選した。
まず物販。
物販会場で5つくらいある会計のうちの一つに並んでいると、私の前に並んでいた人が列を抜けた。
するとそのスペースに、隣の列に並んでいたおばさんグループの一人がスッと入った。
呆気に取られていると、何の理屈があるのか知らないが、もとの列にいた仲間のおばさんもその後ろに入った。一瞬にして二人に順番抜かされたわけだ。
怒りっぽい私は列に横入りされるのがメチャクチャ腹立つ性格なので、頭に血が上ってちょっと震えてしまうくらいムカついた。
咄嗟に「アンガーコントロール!」と心の中で叫び、頭を振って(物理的に)冷やし、深呼吸して何とかやりすごした。
実際、ひとつふたつ順番を抜かされたところで売り切れるわけでもなく、開演に間に合わないわけでもない。でもこんな人たちと同じ対象に感動してる事実がイヤだなあと思っていると、まだいた隣の列の別のお仲間おばさんが「私の分も一緒に買っておいてくれない?タオルだけだから。お金はあとで渡すから。」と。
アンタもその列の同じような順番に並んでんだから別にそのまま買ってもいっしょやん?そこで一緒に会計しても何の得も損もなくない?もうわけが分からん。
まあきっとたぶん大丈夫。これは私にとって割とあるあるだ。
私の存在感が薄いのか、彼女たちのテンションが上がって視界が狭くなっているのか。
それに知り合いが並んでる位置には当然自分も入る権利があるという価値観を持っている人は割と多いっぽい。
そんなこんなで出端を挫かれつつ開演。
「リクエスト投票の上位曲を演奏します」コーナーで、候補曲のなかだけでなく、そのミュージシャンの曲の中で最も自分が苦手な曲が一位だった。
「一般的なファンとの嗜好の違い」により疎外感。
次に、ダンサブルな曲のサビに「お決まりの振りつけ」みたいなんがいつの間にかできていて、みなさん何の抵抗も無くやっていてダブル疎外感。
私はその振りが超ダサく感じたのでどうしても出来なかった。辛かった。
みんながあたりまえに楽しくできていることがどうしてもできないっていう、この音楽に出会った当時の生きづらさまで再現しなくていいんだよ?
たとえば『踊るダメ人間』(筋肉少女帯)みたいな、コミカルなテーマの曲にコミカルな振り付けはアリと思うんですよ。「Xジャンプかよ!」みたいなツッコミ入れつつね。
でもカッコいいと思ってた曲にオモシロな振り付けがいつのまにか付いてて、それを「お決まり」的に皆でやっちゃうのは私には無理。それを本人から求められるのも無理。なんでかどうしても無理。そんなことしたらそのミュージシャンを好きになった理由が分からなくなってくる。
どーでもいいミュージシャンだったらどーでもいいから、クソダサい振り付けだろうが手拍子だろうが、曲を真剣に聴いてないからどーでもいいし、
逆に「ライブに参拝できるだけでも尊すぎるから、尊師がおっしゃる振り付けでもなんでも喜んで参加いたします!」級の『推しが尊い』状態なら仰せのままにやっちゃうだろう。
またどんな「お決まり」があろうが、やってもやらなくても自由な雰囲気(←これが一番重要)があれば気が乗ったらやるかもしれない。それは「自分で選択した」ことだと思えるから。
「メンバーに煽られてリアクションを返す」のと、「こういう動きをしてくれ!ヘイカモン!」って求められて諾々と従うのとは似ていてもかなりの違いがあるんだよ
MCや間奏でウェーブを強要されるのは受け入れられても、サビのタイミングでウェーブとかやらされたら嫌でしょうよ!?
分かってくれ!
なまじ「青春時代に青春できなかった喪女の血肉」みたいな厄介な思い入れと理想があるばっかりに色々と拗れた重い思いがあるんだきっと。
しかも席の場所が中途半端な前方だったからか、視界に入っている私以外の観客が100%同じ動きをしていて、それはかなりショッキングな光景だった。
同じ音楽が好きな人たちが集まっているはずなのに、自分と同じ感受性を持っているひとは皆無なんじゃないかという絶望感があった。
2階とか後ろにいたらもっと違ったのだろうか?
本人の要求に応えられず「ノリの悪い奴がいた」と思われるんじゃないかとか、周りのひとたちに「何でこいつ本人の要求無視して手エ下げてんの」と反感買ってないかとか。
そういう自意識過剰と「でもやっぱり無理!それをしたら私がこの音楽を好きな土台が崩れてしまう」という危機感とのはざまで葛藤して、楽しいハズのライブでひとり消耗する滑稽さよ。
打ちひしがれるわ。
極めつけが「タオル回し」。
わたしタオル回し大嫌いなんですよ。もう疎外感コンボ完成ですよ。そういう音楽性のミュージシャンであればまだしも。とってつけたように何で回さす?
タオルの販促としか思えないし、風圧で目が乾くしホコリ入るし。何のためにあんなことするのか分からない。
まえにも一度タオル回しを強要されたことはあるのだけど、その時は腕を回してお茶を濁した。
今回は、上記のとおり一人相撲で消耗していたので、腕を回す気力も湧かなかった。
でもライブ中一回も棒立ちにはなってないし、ずっとリズムに乗って体を動かしてはいたよ。
何故なら曲と演奏と歌唱自体はとても素晴らしくて、何の不満もないから。
だからミュージシャン本人が悪いわけでもなく、「変わってしまった」とかでもない。
きっとその人が光を当てている対象の範囲から、私が勝手に外れてしまっていたんだろう。
だって私の中のその人が作る音楽は、「一体感」とか「みんなで楽しく」とかじゃないんだからしょうがない。
そう思うと、それらの曲を聴いて“ありもしない黄金の月”を描こうとして、1曲1曲、わずかずつの光を貰っては大事に集めていた自分は何だったんだろうと虚無感に襲われてしまって。
全然ちっとも自分の生命が脅かされたりとかそういう事件でもなんでもないのに、なんだか自分の足元が揺らいできたような気分になって。
ライブの帰り道はずっと俯いていた。お腹も痛かった。
かといってずっと長い間かけて本人が作ってきたんであろうライブのやり方に、意見をして変えてほしいとも思わない。
そもそもファンが意見をしたくらいでやり方を変えてしまうようなミュージシャンであって欲しくない。
拗らせまくってんなわたし。
そんなに嫌ならライブ行かなきゃいいっつー話なんだけど
それはそれで最近いろんなバンドが解散したり休止したり、メンバーが病気やら急死やらしてるようなニュースを見るにつけ、
後になって「変なこだわりなんて持たずにライブ行けるときに行っとけばよかった!」って後悔する可能性が怖くなってくるんだ。一期一会なんだよ…。
なによりいい齢してこんなことでネチネチと激凹みしてる自分に凹むわ。