わたしはさや香が面白かったんだけどなあ…
たぶんわたしは「置いてけぼりにされる笑い」が好きなんやと思う。
「大阪の日本画」展で予告をみてからずっと楽しみにしていた展覧会。初日に行ってきた。
今回のいちばんの目当ては
中之島美術館がオープンしたときのコレクション展で『殉教者の娘』をみてから他の作品をもっと見たくてウズウズしていた【三露千鈴】!
前期展示では『秋の一日』(「大阪の日本画」でも見られたけどそのときは撮影不可だった)と『お人形』(人形あそびしている妹さんの絵)と、雑誌の表紙、羽子板の絵を見ることができてホックホク☺️
展示は1章〜5章に分かれていて、5章のみ全作品が写真撮影OK。三露千鈴作品は雑誌表紙以外はすべて5章。
しかも千鈴のお母さん「三露千萩」の作品もあるのですよ。良家ですなあ。
でもガラスに自分の姿や向かいの作品が反射して写ってしまうので普通に図録も買いました。
音声ガイドは所々聞き取りにくかったので「あとでアプリの音声ガイドDLして家で聞こ…二重課金になるけど…」などと甘く考えていたけどアプリのDLなかったわ。もうちょっとちゃんと聞いとけばよかったわぁぁ。
大阪の女性画家の「先駆者」として丸々1章つかってるのが【島成園】。
「大阪の日本画」で『祭のよそおい』という文展受賞作品のメッセージ性にぎゃふんとなった画家である。
↓これは『無題』という作品のポストカード。
自画像だけど本人の顔にあざはない。
これを発表したとき、「『無題』とは卑怯」などとわけのわからん批判をされたり、背景の絵のところに「求婚広告」ってかいた誹謗中傷イラストを新聞に載せられたりと
佐伯祐三がヴラマンクに「アカデミック!」って批判されたのよりもよっぽど酷い目にあっている。
わたしはこのひとがあざのある自画像をかいた気持ちとか
上のような最悪な(それともこの時代ではじゅうぶん想定の範囲内だったのか)批判に晒されても絵を描き続けた気持ちとかを想像したら泣けてきたですよ。
この6年後に書かれた『自画像』は5章で展示されていて
こちらはこちらでブルースのような作品だ。
写真に無駄な吹き出しがついているのは反射して写っていそうな諸々を隠すためです。
また、ポストカードになっててほしかったけどなかった『伽羅の薫』という作品が本展でのわたしの一番だった。
赤い着物の裾がまるで体から流れた血溜まりみたいで痛ましいのに、顔の周りには光背があって神々しく
そのギャップが妖しくてずっと見ていられる。
↓追記:中之島美術館のアカウントが『伽羅の薫』を紹介した“X”貼っときますね。↓
https://x.com/nakkaart2022/status/1739601961358680557?s=46&t=VqfcF_GfGfeG7O4wujOlMA
大阪の女性画家たちは、はじめ両家のいとさん&こいさんが教養のために始めた手習いごとがほとんどなのかもしれないが
中には当然「稽古事ではおさまらなくなった、描かずにはおれない人たち」がでてくるわけで、そんな人たちが描いた絵はなんだか切実さがあって心を動かされる。
もちろん後期展示も見に行く予定です!
男性画家は女性も男性も描くけど
本展の女性画家は(南画以外)男性を描いた絵がないね…描いてても歌舞伎の女形ですしね。
そういうの「はしたない」とか言われたんだろうか
それとも単にモデルやってくれる人がいなかったのか…素朴な疑問。
でもあれか。男性画家でもこの時代はほとんどが美人画か…。
写真、信号待ち中のコレしか撮ってない…。
真言宗立教開宗1200年記念の特別拝観「東寺のすべて」に行ってきた。
「東寺のすべて」展なるものをどこかの博物館か美術館でやってるっぽいタイトルだけど
現地=東寺(教王護国寺)でやってる。
東寺のふだんは非公開のお堂を一斉に特別拝観できる。2,000円。
感想:なんかすごく「考えられてるな」と思った。
たとえば
拝観料を払ったらもらえるパンフレットがチケットも兼ねていて、裏表紙のスタンプラリーっぽいところが「もぎり」の代わりになっている(なので再入場はできない)
スタンプが揃っていくのが楽しくもある。
おなじく受付でQRコードつきの栞がもらえて、これを読み込むと無料の音声ガイドが聞ける。声優に詳しくない私でも知っている仏像声優の小野大輔さん。めっちゃ耳心地よい。
このQRコード、念のためモザイクかけたけどひとつのコードにつき一つの端末(一番初めに読み込んだ端末)でしかアクセスできないらしい。
どういう技術なんだろう…なんかチケット転売防止とかに応用できそうな…
事前にHPで知っていたのでスマホ用のイヤホンを持参して行った。
とくに講堂の「立体曼荼羅」とか、解説がなければ圧倒されて迫力だけ味わってわけわからんまま出てくる感じになっちゃうので
解説あって助かりました。
実はですね…わたし曼荼羅とか密教の世界観とかよくわからないんですよ…
お釈迦さま(人間)が開いた宗教なのに、なんかお釈迦さまと違う神さま?っぽいキャラクターがいっぱい出てきて
真ん中の仏さまたちは座って目を閉じて、周りにいる天とかは威嚇してきてて、
「え…極楽浄土ってみんなずっと同じポーズして24時間365日過ごしてるの…?会話とかあるの?」って戸惑って思考が停止したまま数十年の時が経った感じでして…
反対に地獄絵図だったらそれぞれの地獄とか裁きとか、何やってるのかリアルにわかるじゃないですか…
なのに極楽のほうはみんな役割に応じたポーズとってるだけだからなんかよく分からん。
なので音声解説ありがたかったです。
立体じゃない絵のほうの曼荼羅「両界曼荼羅図」も解説がないと「大きい仏様のまわりに小さい仏様がびっしり〜♡」くらいの感受性しかないのです私は。
なので解説があってようやく何を伝えたい絵なのかを知る…。
あとご自由にお取りできた「お大師さまのおことば」というペーパーに「仏の住む浄土は、死後の世界ではなく『精神世界』である。」と書いてあって「そうだったのか…!」ってなった。
わたしの右脳は血が通っているのだろうか。文字どおりのことしか理解できない私の脳よ。
しかしですよ。
よく考えれば曼荼羅はそもそもお坊さんからの解説ありきでつくられたものですよね?
音声ガイドは10月末まで利用できるうえ文章でも読めるので、それを家に帰ってから見ていて気がついた。
弘法大師とかがお経を理解するのが難しい人々に対してビジュアルで分かりやすく説明するためにつくったのが立体曼荼羅とか両界曼荼羅図とかなので
そもそもしろうとが曼荼羅だけをみて何かを理解できるようなものではないのですよ。
分かっている人が解説してくれて初めて用が足せるしろものなのです。
だから私がひとりで曼荼羅だけをみて思考が停止したって仕方ないのです。
これでいいのだ。
なんかそういう当時のかんじで解説(説教?説法?)してくれるイベントとかないのかなあ…東寺だけに…。
龍谷ミュージアムへはこれまで交通費をケチって阪急大宮駅から徒歩で行ったことしかなかったんだけど、歳のせいか疲労か、もう無理そうな気がしたのでJR京都駅から徒歩で行った。近かった。
数年ぶりに来たら、1階にあったショップ兼カフェ(くろちく)が前田珈琲になっていた。
京都は美術館・博物館内カフェに前田珈琲が入ってるのが多くないか?私が知ってるだけでも京都国立博物館とココと、あとマンガミュージアム。病院内コンビニにローソンが多い現象(わたし調べ)みたい。なんかノウハウがあってお任せしやすいのかね。
ホットサンドおいしかったです。まわりの人たちはみんなナポリタン食ってました。
図録を買って荷物が重くなったのでせっかく京都に行ったけど他に観光などはせず帰宅。
帰りの電車の中で、とくに印象に残った作品「童子跪坐像」ついて思いを馳せていた。
この像は底にカーブがつけてあってロッキングチェアみたいにお辞儀する仕掛けになっている。
子どもの死者が獄卒に謝っている姿を表しているそうな。
↑お粗末なスケッチでお送りします(上のチラシにも小さく載っています)
この像に限らず、この展覧会に“みちのく”からやってきている神像・仏像は、上方や江戸の仏師に発注した正統派なご本尊の仏像とはべつに「それはそれとして…」て感じでその土地で暮らす人たちのニーズに応じて地元の大工さんや僧が作成した、普段使いの(?)木像だ。
ぜんぶ木像なのも特徴の一つだと思った。木が一番身近で豊富な材料なんだろうな。
地獄の役人・十王がたくさん展示されているところの「江戸時代の人々は自分は地獄行きだとあきらめながら生活していた」的な解説文は何か自分にとって新しい価値観というか歴史観みたいなものを得られた気がした。
みちのく は漁業や林業が盛んだ。
漁師なんて毎日命懸けで漁に出てるうえに殺生までしているわけで…林業も命懸けだし気候も厳しい。
江戸や上方といった第二・三次産業が中心の町と比較したら並々ならぬ切実な信仰があったんだろうとか思いながらそれらの木像を見るとなんか切なさがある。
宗教とか信仰の本質について思いが巡る。
前述の童子像は、これを発注した人はきっと自分の子どもが亡くなっていて、昔は「親より先に死ぬと賽の河原で石を積まされる」的な親不孝の罪だとされていたから
地獄の鬼とか閻魔様とか十王とかに謝ってる像によってなんとかその罪を軽くしてあげたいという親の切実な願いがあったんだろうなあ……なんて考えてうるっときた。(泣いてはない)
それはそうとJR京都の伊勢丹にあるマールブランシュで秋限定のクッキー缶を見た目に魅かれて自分用のお土産に買ったのだけども
名物「茶の菓」の見た目がお土産っぽいせいで侮っていたわ…
めちゃめちゃ美味しいやないか…🤤
以上です
10月1日、阪急電車の駅に行ったら、当日の宝塚歌劇の公演が中止になった旨が改札のモニターに表示されていた。宝塚駅からはけっこう離れた駅。
珍しく思いスマホで歌劇の公式サイトをみると、複数人の体調不良で急遽中止になったとのこと。
コロナの感染者また増えてるしインフルも流行ってるし大変やな〜と、その時は軽く考えていたのだが
夜にSNSをみてて偶然知ってしまった。団員さんが自○(いちおう伏せ字)されたということを。そんで公演なんてできないから休演になったことを。
全く詳しいことを知らないのでそれに関して言及することはないけど
エンタメって何なんだろうな…って思ってしまうことが最近多い。
巨額の儲けが出るような、世界を狙うようなエンタメのファンでいることってもしかしたら凄くしんどいことなのではないのだろうか。なったことないから知らん奴が言ってるだけになるけど。
ハリウッド映画とか、アメリカのショービジネス、KPOP、あと美術品も?
国内だとジャニーズ事務所とか、今回の宝塚。
美しく壮麗なねぶたの下でそれを担ぐ人たちが指示役にしばかれてるアレみたいに
世間に見せているキラキラで華麗な部分と、目を向ければ見え隠れする苛烈な部分とがあって
ファンは綺麗なところしか見たくないし、関係者は藪蛇になりなくないし
でも令和のこの時代に一向に改善されないまま「この世界はこういうものがあってこそ」って目を背けたり逆に持ち上げたりを続けていたら
新規ファンが減ったり優秀な人材に避けられたりして先細りの未来しかないし
「夢の舞台」とか「夢の世界」なんて本当はなくて
「ハレとケ」と言われる「ハレ」だってしょせん「ケ」=日常 の延長。
そんな冷めた目しか持ち得てないから、わたしはアイドルとか歌劇にはハマることができないんだろうなあ。
でも夢を見せるステージを作るにはお金がかかるのは分かる。お金をかけようとしたらやっぱり沢山の儲けが出るように頑張らなくちゃならない。
そうしたらやっぱり闇が生まれる。
勢いでバーっと書いてたら訳わからなくなってきた。
なんかもう「資本主義が諸悪の根源」的な結論に行き着きそう。かといって社会主義とか共産主義を推し進めたいわけでもない。
縄文時代にかえりたいね、ってなるのよ。結論は。
でも縄文時代特集で見た前歯を櫛型に削ったあの歯は痛そうすぎて嫌だ。アレが成人の通過儀礼とかになってたら私は集落を脱走する。そして野垂れ死ぬ。ああやっぱりどこに行っても幸せになれない。
何かのファンになったが最後、楽しさを享受するだけでは終わってくれないこのエンタメなるもののシステムなんなんだろう。
中にいる人たちだって、そんな闇を引き受けたくてその世界に飛び込んだわけでもなかろう。
エンタメの興りはなんだ?人を喜ばせたい気持ちから始まったのか、それとも稼ぐ方法論として始まったのか?
哲学の領域になってきた。
心が疲れている。
写経体験を経て信心が無さすぎるせいで宗教はわたしを救ってくれないと気付いたはずなのに
性懲りもなく、いまとても西国三十三所めぐりがしたい!
要するに現実逃避の旅がしたいけど行きたいところもないし有名な観光地巡りは人が多くて逆に疲れるから観光以外で旅の大義名分がほしいのです。
身も蓋もない動機だけど江戸時代からの伝統的な物見遊山の精神を引き継いでいるとも言えなくはない…かもしれない。
番号どおりに巡る必要はないけど、最初と終わりは順番どおり行きたいなー なんて思っちゃうんですが
めっちゃとおい…
さいごの33番札所は岐阜県なんだけどどこが西国なんだろうね。
まあとりあえず形から固めていこうと専用の御朱印帳を購入。
御詠歌とか水彩画とかが印刷されてるのあんまり好きじゃないなーと思って何も書いてない蛇腹式のやつをAmazonで買った。
普通の御朱印帳よりページ数が多くてぶあつい。
ぶあついのでこの御朱印帳に専用の袋をつくった。
手ぬぐいで。
朝ドラ見てないけど、X(旧twitter)でフォローしてる手ぬぐい屋さんのうさぎ柄手ぬぐいが
朝ドラ『らんまん』で手縫い巾着袋として出てきたおかげで
同じ柄の手ぬぐいが売れに売れて予約もいったん打止め状態になっているのを見て
「手ぬぐいで袋を作ろう!」と思い至ったのだった。
最初は巾着袋を作ろうと思ったけど、上の絞る部分のサイズ感がよくわからずいろんな袋の作り方を検索した結果
とあるブログにあった、長細く布を裁ってつくる袱紗っぽい御朱印帳袋のレシピを参考に
サイズが合うように2回くらい仮縫いしてから作った。
ブログの人は「30分で作れる」って書いてたけど裁縫なんて滅多にしないわたしは仮縫い除いても1時間かかった。
若干ゴワゴワしているけど、畳んで縫ったので糸をほどけばもとの手ぬぐいに戻る仕様。すばらしい。SDGsですね。
素材は山下清展で買った手ぬぐい。インクジェットプリントとおもわれ、吸水性も肌触りもよくないので持て余していたやつ。
全体が見えないので絵柄が全然わからないな…
御朱印帳の中の用紙は無地なので見開きに御朱印と御詠歌をいただく予定。
とすると一箇所あたり千円(御朱印が@500に値上がりしたらしい)…三十三箇所トータル3万3千円もするのかぁ…(信心のなさがここらへんに出てくる)
車の運転できないから全部公共交通機関で行くし、遠くのお寺は泊まりがけになるし…本当にやるのかこれ!?
お金をなるべく使わないでどこかで一泊して青岸渡寺に行くには……と、毎日のようにホテルの検索してて割とそれが現実逃避でもあり、新たなストレスでもあり。
9月末なのに気温が30℃超えるやら、カメムシが大量発生するやら、ミサイルやら戦争やらでなんかもう世界が滅びそうなので、その時までになるべく楽しいことをなるべく多くしておきたいものですなあ。
ノストラダムスの大予言を信じてテスト勉強しない『ちびまる子ちゃん』のはまじと同じ心境です。