LOSTMAN NEED BLUES DRIVE MONSTERS

神経質で性格が悪い人のブログ。ブーメランな意見を述べがち。消しがち。更新が多いときは調子が悪いときです。更新がないときはもっと調子が悪いときです。情報商材いりません。

6月6日分のポンツカをやっと聴いた直後のとっ散らかった感想文

チャマさんが復帰するポンツカ

聴くの怖かった〜

聴いてどんな気持ちになるんだろう、BUMPを嫌いになってしまったらどうしようとか思って怖かった。嫌いになってしまったら私が困る。他に好なものがあんまりないから更に人生に迷ってしまう。

でもこの週末までに聴いとかないとインターネットラジオの公開期間が終わるからね。

 

アホな話だけどチャマさんが沈黙するたびに「ラジオでは無音が5秒以上続くと放送事故」ってのを思い出してハラハラした。

よく考えたら編集で5秒以上の沈黙にならないようにしてあるんだよな。アホだな私。本放送ではBGMあったんだろうか?

 

そんなことは置いといて。

喋ってる内容は各SNSに公開されたチャマさんのコメントとほぼ同じだけど

そこに付加される感情とかメンバーとのやりとりとかが音声でちゃんと伝えられたことで

文章を読んだだけの時とは違う気持ちになってきて、なんかちょっと泣いた。

上手く表現できないけど、やっぱり私はBUMPを好だなあとじんわりと感じた。

 

今回のポンツカからチャマさんが復帰したとして、それ以降のポンツカにどんなノリで出てくんの!?と心配していたけど

とりあえず楽曲制作のベース担当としてのみ復帰、ポンツカとかは当面の間3人のまま。

そっか、そうだよな。そりゃそうだよな。

 

なんかBUMPって「答え」を出してくるよな。

きっとめちゃくちゃ沢山の時間をかけて話し合ったんだろうな。

 

先週、昼休みにイヤホンで『なないろ』を聴いていたときハッとした

ベースに注目して聴いてみたら、ベースが暗い。

曲全体は明るく軽やかな雰囲気のアレンジなのに、ベースは暗い。

この曲もベースは藤原さんが弾いたとJAPANのインタビューで知ってたので、藤原さんの精神状態が心配になったと共に、チャマさんのベースって明るかったんだな〜と今更ながら思ったわけです。

後出しで「あーやっぱりねー」って訳知り顔をしたい人みたいでアレなんだけども

チャマさんの文章と言葉で藤原さんがベースを弾いて体を壊したということを知って、色々と思った。

 

それと、6月6日にLINEでBUMP公式からチャマさんの文章が届いたとき「万が一『脱退します』とかだったら嫌だ」ってとっさに考えてたので

私はチャマさんが脱退するのは嫌なのだった。

 

私は恋愛にまつわる人間社会のすべてに不信感を持つ特殊な拗らせ人間なので、もう不倫とか、しかも愛が無い系の不倫とか、「唾棄!」でしかない。

でもBUMPのベーシストはチャマさんしかいない。そう強く思っている。

許すとか許さないとかそういうんじゃない。

 

BUMPとは関係なく、Twitterはおすすめトレンドが鬱陶しすぎるため数ヶ月前から国の設定をコロンビア(言葉も文化も知らない国を適当に選んだ)にしている。

なのではたして今回のポンツカに関して何がトレンドになってみんながどんなコメントしてるのか全然見ていない。タイムラインはいろんな公式アカウントを読む専用の別アカウントしか開いていない。

自分がポンツカを聴く前に他の人の意見は見たくなかった。聴いた後の今も見てないけど。

 

BUMPはアイドルじゃなくてバンドマンなんだからそんなの関係ねーみたいなこと言う人いるやん?

報道当時、私のタイムラインにもいた。ロックなんだぜ?みたいな人。俺は分かってるぜみたいな人。

でもそういうことと違う。それは結婚した時とかに使うやつ。

 

人柄と音楽は切り離せよみたいな人もいる。

わたしは、人柄という成分が音楽に配合されているからこそ、その人たちの作った音楽に共鳴するファンが付くのだと思っている。作詞作曲者でなくともだ。

逆に人柄が少しも反映されてない曲なんてペラッペラで俎上にも載らん。

鹿野さんがMUSICAで「以前は『個人の行いと生まれた音楽は別』という大前提が存在していた。もちろん、今もそれはそうだし、そうであるべきだと思う」云々と書いていて

これまでのライブレポートで「BUMPとバンプファンとの関係性は特別」的なこと繰り返してたくせにこのタイミングでは一般論で表面を撫でてくんだ!?と失望感を覚えた。

 

藤原さんが当時のポンツカ

BUMPのリスナーはどこかに傷を持ちながら生きてる人が多いと。なのに人を傷つける人がメンバーにいたんだと。

私も気付いてなかったことを説明してくれててさすがと思った。

それはBUMPの発表してきた曲たちがそういうファンの心を捉えるものだったということで

アイドルが容姿やダンスやひたむきさや疑似恋愛とかでそういうのが好きなファンを捉えてきたのと現象としては同じだと思う。

だからアイドルファンは「推し」が容姿を保てなくなったりダンスの練習をサボったり、実はひたむきが演技とバレたり、恋人が発覚して疑似恋愛できなくなったりしたらガッカリするんでしょう。たぶん。

同じようにBUMPファンの私は、メンバーのひとりが(事情や齟齬がもしあったとしても)人をあんな形で傷つける人だったことを知らされたからガッカリしたし、他のメンバーはどうなん?ってついつい疑心暗鬼になってしまうし、逆に他のメンバーのメンタルが心配にもなるし、曲を聴くたびに複雑な気持ちになってしまったんですよ。

 

そんで、不倫は是が非かと問われれば、チャマさんだけでなく全世界の不倫する男女をまとめて否定するけど

私が許さなかったからといって世界はどう動くわけでもないのでこの気持ちは無いのとおんなじ。

そもそも自分とは恋愛関係でも仕事関係でも家族でもないし、私は被害者(という表現は適切ではない気がするけど他に思いつかない)でもその関係者でもないので

許すとか許さんとか思う分には勝手だけどそれを当事者たちに届けたり影響させる権利はないのです。

 

まとめたい。まとまるかな。

 

だから私はBUMPが「BUMP OF CHICKEN」とそのリスナーとのために、考えに考え抜いたであろう局面ごとの結論を見て

嫌いになっちゃわない限りはBUMPの曲を「良いよなぁ〜」ってしみじみしたりドキドキしたり色々な感情を持ちながら聴いたりライブに行ったりするだけなんだろうな

と思った。

今後のチャマさんの音楽や言動を見聞きした私の感情は私の中だけの事情であって

BUMP OF CHICKEN」がチャマさんをどう捉えるのか、ファン全体の傾向をどう捉えチャマさんをどのタイミングで何に復帰させていくのかは元よりオマカセでしかないんですからね。

 

詩人の最果タヒさんの受け売りだけど

好なバンドがいろんな局面を迎えるのをリアルタイムで体験できるってだけで凄く幸せなことなんかもしれない。

それに一喜一憂できるのって同じ時代に生きてるからであって、それが奇跡みたいなもんじゃないか。

たとえば今わたしがビートルズの大ファンになったとしても、武道館の来日公演に行きたいと願うことすらできないし、新曲を待つこともできない。ドラッグに溺れてることを知ってガッカリすることもできない。オノヨーコがジョンとバンドに与える影響の是非について思い悩むこともできない。解散を悲しむこともできない。(全て上辺だけのビートルズ知識で語りましたスミマセン)

そう考えたらBUMPが活動してる同じ時間を生きて、動向について色々思いを巡らせるのって貴重な体験だよな。

 

なんだろう私は悟りを開きたいんだろうか。新手の信者なんだろうか。

BUMPメンバーや他のファンの人とか相手の女性にとっちゃあ身勝手な話かもしれない。

コイツBUMPのことより自分のことばっかじゃねーかって感想文だよなぁこれ。

でもしょうがないか。すみません私は自分のメンタルを守ることで精一杯でそのことばっかりなんです。自分の気持ちが良くなったり上向きになったり慰められたりしたいがためにBUMPの曲を聴いてるんです。

 

補足。

もし藤原さんと全くおんなじ発言をする別人の作詞作曲者が在籍する別のバンドがあったとしても

そのバンドがつくる曲が××(←自由にアーティスト名を入れてください)みたいなのばっかりだったら元からファンになっていなかったハズ。

「人物と楽曲には相互関係がある派」の私ではあるけど人柄だけではダメで、楽曲にハマってなかったら今頃こんな長文駄文を連ねてなかった。人柄を楽曲にどんだけ混ぜられるかってのも作詞作曲編曲者の能力のうちのひとつなんだたぶん。

 

補足2-1。

私の感想文を読んで「コイツは本当のファンじゃない」と思う方もいるかもしれませんが

前にも書いたとおり、私は「本当のファンとは如何なるものか」という論争は不毛なのでしません。私が豆腐メンタルなためこのブログはコメント不可です闘いは挑まないでください。

私にだって「ウワッこんな人もバンプファンなのか」と驚くことはあるけれどもそれが「本当のファン」かどうかは神様も知らないし私は無神論者です。

 

補足2-2。

“その人のことを「100%好き」じゃなくても好きでいていい” というのが私の持論です。

全肯定できるのがファンだとか、ダメなとこを批判できるのが本当のファンだとかいうアレについては補足2-1をご参照ください。