「ICE BOX」(商品名)のCMソングを歌っていた、「ICE BOX」(ユニット名)。
夏が尋常じゃない暑さになり、ICE BOX(商品名)の需要が高まることを見込んだのか、ICE BOX(ユニット名)が再集結して数十年前に大ヒットしたICE BOX(商品名)をふたたび宣伝。
メンバーに中西圭三さんがいたのか…。ほかの人は失礼ながら知らないわ。
でもICE BOXのことはこれまでの人生の中で時々思い出していた。主に甲子園のカチ割り氷をTVで見た時に。
「ICE BOXとかあったなあ~、『キスがー冷たいよー』って冷たいことをマイナスイメージで歌ってたけどよくOK出たよな~」とかいう感じで。
この曲は、子供のころ近所のよう分からんレンタルCD屋(ツタヤとかじゃないやつ)で借りてきて、テープに録音してよく聴いていた。
余談だがそのレンタル屋では、売り場に新商品のシングルのみ歌詞カードをコピーした紙が置いてあって、借りる人は自由に持ち帰れるようになっていた。昭和のおおらかさ。
当時も今も天邪鬼なわたしは、『Choo Choo TRAIN』(ZOO)がヒットした世のなかでZOOよりもICE BOXを聴き、
『部屋とYシャツと私』(平松愛理)がヒットしたら次の『Single is Best!?』を買い、
『決戦は金曜日』『晴れたらいいね』(ドリカム)がメッチャ流行っててメッチャ気になってたのに買わず、次の『Go for it!』を買う
――といった行動を繰り返していた。
ビーイング系のバンドブーム&長いタイトルの曲ブームだった時はinfixの『傷だらけの天使になんてなりたいとは思わない』をヘビロテしていた。(※infixはビーイング系に見えてビーイング系ではないらしい。けど当時はビーイング系と思っていた。)
小沢健二がブイブイ言わせていたときにはオザケンを聴かず、ちょっと経ってからカジヒデキを聴いたりもした。
ねじれ棒のように何回転してるのか分からないくらいひねくれた末、
〔誰もが聴いている大ヒット曲を喜んで聴くマジョリティー(=スクールカースト上位者)〕になりたい…というあこがれと〔大衆に迎合することはどうしても出来ない〕という腐った心根との葛藤、そして〔マイナーに走ることもできない〕という冒険心の無さの末に〔ちょっとマジョリティーから視点を(自分なりに)ズラした位置の音楽を聴く〕という奇妙な行動をとっていた。
そんな思春期。
その点だけを考えれば、今はそんな天邪鬼にならなくても全ての音楽がマイノリティな時代だから、ただ自分の好きなものを好きなだけ聴けるんじゃないのかな。と思う。
もし自分がこの時代に学生だったらの話。
あの「嵐」でさえ、どの職場に必ず一人はファンがいる状態ではあったとしても、「ジャニーズファンじゃなければ無視される」ほどの猛威は振るっていないからな。
国民的ヒットが生まれにくいと言われている現在なら、
- 『恋』以外の星野源の曲を聴いてるクラスメート、
- 『Lemon』以外の米津玄師の曲を聴いてるクラスメート、
- 『前前前世』以外のRADWINPSの曲を聴いているクラスメート、
- アイドルオタクのクラスメート、
- アニソン聴いてるクラスメート、
- 西野カナのことが忘れられないクラスメート、
- エグザイル系のグループ名ぜんぶ知ってるクラスメート、
- ジャニオタのクラスメート、
- 親子3代でタカラヅカ好きなクラスメート、
- 2.5次元の舞台が好きなクラスメート、
- K-POPが好きなクラスメート、
- メジャーな歌手より「歌い手さん」のほうが良いと思っているクラスメート、
- メジャーな歌手よりユーチューバーの歌ほうが良いと思っているクラスメート、
みんなマイノリティーなんじゃない?きっと。
クラスに一人ってほどではないけど、大多数を占めるまでにはいかない、くらいの規模の「マイノリティー」。
私の独断と偏見では、それぞれ「私が高校生の時に奥田民生(パフィーは除く)を聴いていたクラスメート」くらいの規模なんじゃね?と思っている。
オリコン1位の曲をみんなが知らない世の中なので、自分のところまで“1位の曲”が届いてこない。
「1位の曲=マジョリティー」ではなくなってくれた。
そうなると、1位の曲に対してフラットになれる。1位の曲を聴くor聴かないことに対してのこだわりが無くなる。
それが凄くラク。
多様性は良いところも悪いところもあるけど、音楽に関しては私は多様性があった方が生きやすい。
音楽に関しては、みんなマイノリティーなほうが生きやすい。
音楽に関しては、今のほうがいいです。
以上。