京都国立博物館で開催中の国宝展、第1期の展示を観てきた。
はじめは「全期通うぜ!」と息巻いていたのに、展示を見るには全然進まない行列に延々と並ばなきゃいけないことにウンザリしたので、きっともう行かない気がする。私の芸術に対する情熱なんて所詮そんなもんだ。でも一回だけでも充分貴重な体験になることは確かです。
混雑具合と偏ったオススメポイント
全国レベルでテレビに取り上げられるような展示会に行くのが初めてだったので これが普通と比べてどうなのかは分からないけど、混雑具合について書いておく。
私が行った日は初日の翌日、10月4日水曜日。平日。
開館時刻の9時半を少し過ぎて現地に到着したところ、館内に入る前に入場規制で10分ほど待ち、さらにチケットをもぎってから展示スペースに入る前に10分ほど待った。
特に順路はないけど、人の流れに乗らないと最前列で観られないので、それらに並んでたらぜんっぜん進まない。学芸員さんが「お並びください」と呼びかけてるゾーンもあれば、「比較的すいている所からご覧ください」と言っているゾーンもあり、そこは臨機応変な感じだった。
必ず見ておきたいものだけピンポイントで並んで、他の物は後ろの方で見ることにした。
楽しみにしてた火焔型土器は並んでなかったのでじっくり360度見ることができた。
火焔式土器って縄文時代の代表作で教科書にも載ってるけど、全然「縄文土器」じゃないよなあ。縄目文様ついてないもん。でも縄文時代の土器を問われたらそりゃあこんな圧倒的な作品があればコレを挙げるよな。絶対この時代に既に「有名作家」的なポジションの人がいたよな。火焔式土器もだけど、土偶とか見てもそう思う。
絵巻物や書の巻物の列は長いし遅々として進まなかった。雪舟ゾーンの人気も凄かった。
あと、音声ガイドが有る展示物はやっぱり混む。
合間の休憩スペースに着くタイミングで、ちょうど音声ガイドのサービストラック「谷村新司の『嗚呼』」が聴ける粋な計らいがあるので、音声ガイドオススメです。
あと、「糞掃衣でつくられた袈裟」の、何がどうなってるのか訳のわからなさに圧倒された。あれは見る価値がある。
館内から出たのは、たしか12時過ぎくらいだったと思う。
仏像の良さを再確認
展示の終盤、仏像のゾーンに入ると不思議と心がホッとした。
仏像の何が良いって、大きいから並ばなくてもすぐ見られるとこ。
地獄絵図の絵巻物なんて、並びすぎてて結局ホンモノの上に貼ってある拡大パネル見てる時間の方が圧倒的に長かったから。
その点仏像は一つ一つの間隔も広いから展示品一つ当たりのお客さんの数が少ない。すぐ見られる。遠くからでも見られる。
大きくてスゲーし、金色で有り難いし、ポーズで表してるものが決まってたり、芸術に造詣が深くない人にとっても色々と分かりやすい。
こういう分かりやすさが当時の民衆に受け入れられて、仏像が各地でたくさん作られる要因の一つなんじゃないかと想いを馳せたりもした。細部に宿るイロイロも重要なのは承知の上で。
昔の民衆の気持ちになれる、有意義な展示会だった。
国宝展をやっている京都国立博物館のお向かいさんの三十三間堂には、「いつもの国宝っス」みたいな顔して普通に国宝の仏像がいる。京都って凄いよなあ。
三十三間堂では庭の方で何かの工事をしていて、囲いのそばに鬼瓦が置いてあって素敵だった。
物販
黄金でキラキラの風神雷神チケットファイルを買った。よくあるA4を三つ折りにしたサイズよりスマートなので、コンビニ発券したチケットにジャストサイズで嵩張らないし、キンキラキンだから鞄の中で目立ってすぐ取り出せるスグレモノ。絶対お役立ち。
後日 新幹線のチケットを買いに行った大阪の某金券ショップで、前売券より安い価格で国宝展の入館券が売られていたんで、一番のオススメはこの安売りチケットなんですけどね。こういうのの流通経路ってどうなってんのですかね。