やっぱりあの件があってから、あんまりBUMP OF CHICKEN の曲聴けなかったんですよね。
全然きいてない訳じゃなくて、新曲は2日に1回くらい聴いてたし
有線で『アカシア』が流れてきたらやっぱり嬉しくて、曲が終わるまでお店の中をぐるぐるしたりしていた。
でも既発曲はね。
これまで何回も何回も聴いてきた時間が積み重なっているからね。
いい本とかいい曲って、読む度・聴く度に感じ方が違うっていうし、これまでもそういう聴きかたをしていたのだけど
これまでと比べてあまりにも異質な感じ方をしてしまうのではないかと思うと怖くなってしまってね。
土曜日
病院の予約があって、いつもは自転車に乗って行くけど土砂降りだったので歩いて行った。
私の中では未だに現役のiPod nanoをお供に片道50分間の路を往復した。
iPod nanoにはいろんなアーティストの曲を入れているのだけど、BUMP曲のプレイリスト(シークレットとライブ音源以外の全曲)を再生しながら歩いた。なんかその時はそれがすんなりできた。
当たり前だけどこれまでと同じ感情で聴けなかった。けど、予想してたよりも感情の揺れは大きくはなかった。
『魔法の料理』で「期待以上のものに出会うよ」と歌ったときの藤原さんの気持ちよ…とか
『乗車権』の「夢の先」が今なの?…とかさ。
『モーターサイクル』は今月号のJAPANで藤原さんが未来を知らずに饒舌にインタビューに答えてる誌面を連想する。
『ガラスのブルース〜28 years round』とかもう曲の背景を想起しすぎてアカン。
もし『リボン』か『ベンチとコーヒー』がシャッフル再生されてたらきっと飛ばしてしまっただろう。
要するに、藤原さんの心情に思いを馳せてしまう系の曲がヤバい。
そしたら新しめの曲は殆どがヤバい。
新曲2曲もそこそこヤバい。自覚はあった。
帰り道に再生された『present』『ノーヒットノーラン』等は大丈夫だった。
『ナイフ』なんて相変わらず血が滾ったし
若干苦手だった『車輪の唄』がなぜかめっちゃ滲みた。
『才悩人応援歌』のラララは今の自分のための歌みたいだった。
改めてBUMPってバリエーション豊富な曲を作ってきたんだな〜と。
結局わたしは、自分がどうとかよりも藤原さんの心配をしているということなのだろうか?
BUMPの行く末をひたすら心配してるのだろうか?
なんだか曲を聴くという行為が鏡みたいにして自分の心境を映しているような気がした。