ビートルズのCDは持ってない。
父がカーステレオで掛けていたイエローサブマリンが入ってるアルバムを借りパクしたことは有る。
そんな私が、誰に誘われたわけでもないのに、前売り券を購入してまで、公開日初日の初回にビートルズの映画を観た。
1人で。
前売り券を買ったのは、私が「ムビチケを買ってない映画はよっぽどのことがない限り観ない」というよくわからない主義に固執しているからで、
初日の初回だったのは、たまたま予定が開いたのが今日(9月22日)で、近所のTOHOシネマズでこの日は2回しか上映していなかったからだ。
公開初日なのに早朝とレイトショーのみって何なんだ。
隣の席は、ワイシャツ+ネクタイの上に作業着という工務店スタイルのおじさんだった。そのまた隣の人(おじさんの同行者)に「会社を抜けてきた」と言っていた。
感想。
比喩ではなく頭が痛くなった。
ビートルズをリアルタイムで体感していなかった自分は、これほど酷いとは知らなかった。
映画の中の、ファンの黄色い声が (-"-)
そういえばこの映画を観ようと思った遠いきっかけは、数か月前にTVでやってたビートルズ特番かもしれない。
SMAP草なぎさん司会で、ビートルズの色んな映像のほかに[Alexandros]や Bawdies がビートルズの唄をカバーしてた(ような気がする)。
その番組で流れた武道館ライブの様子が、自分にとって全く異様だった。
現代に生きる自分にとって、ライブとは「演奏を聴きに行く」ものだ。曲と曲の間はともかく、演奏中は煽られたときなどを除いて、基本的に音は出さないようにリアクションをする。
アーティストによって違うだろうけど、客としての私は、曲中の手拍子はしたくないしして欲しくない派だ。促されたときや曲のアレンジが手拍子込みの時なんかは別だけど。
小学校の音楽鑑賞会(クラシックとか童謡)の時からの筋金入りだ。
それがTVで観たビートルズ@武道館の観客は、あんなに熱狂して迎えた彼らの演奏をちっとも聴かずに、自分の「キャー!」という金切り声でそれをかき消す作業に没頭していたのだ。
きっとチケットを入手するのだってめちゃくちゃ困難だっただろうに、この女性たちは何をしに武道館までやってきたんだ?バカなのか?それともライブリテラシーがまだ発達していなかったのか…? (-"-)
ライブ中ずっと後ろで歌ってる奴がいるだけでブチ切れそうになる(けど注意できないチキンな)私には、大変なカルチャーショックだった。
その光景が目に焼き付いているから、「THE TOURING YEARS」と副々題が付いているこの映画に、怖いもの見たさで興味が湧いたのかもしれない。
単に暇だったからかもしれない。普通にビートルズは嫌いじゃないし。
既に懐メロと化した時代に育った私は、ビートルズファンのバカ熱狂ぶりを甘く見ていた。
映画の初めから終わりまで、さらにボーナストラック的なアメリカ初のスタジアムライブ映像でも、彼女たちの金切り声は凄まじかった。しかも映画館の大音響で繰り広げられるものだから、序盤からかなり頭痛がした。
日本なんてまだ着席してる分かなり大人しいほうだった。
恐らくだけど、当時の日本の女性ファンたちは、アメリカとかイギリスのファンの挙動について何かしらで情報を得て、「本場のビートルズファンの振舞い方がお手本」と受け止めてしまい、ヒステリックに歓迎するのがマナーだと勘違いしてしまった人も多いんじゃないのだろうか。そういう残念な集団心理っていつの時代もあるもんね…。
こんなヤバい状況の中で、演奏に手を抜かずにツアーを続けたこととか、インタビューの受け答えの聡明さ・健全さとか、当時の彼らよりおばちゃんな私は泣きそうになった。
イヤモニとか色んな音響技術の無い時代に、演奏がピッタリ合ってるなんて、凄い演奏能力&バンド力だよなあ。そんな凄い奴らの凄い演奏を前にして、自分達の熱狂だけを彼らに押しつけただけのファンって一体何なのよ…。もったいない。
こういうのもジェネレーションギャップと言うのだろうか。
アメリカやイギリスのライブ映像で、“キャーキャー喚いた挙句に失神とかしてるスクールカースト上位系女子”の合間に、“着席して静かにノリノリのモテない系女子”の姿が映っていた。
きっと彼女たちは「馬鹿みたいにアンタ達が叫んでるせいでジョージのギターソロが聴こえないじゃない!本当のファンなら静かに手を叩きながら音楽を聴くべき!!」とか高い意識をこじらせてたんだろうな。
この時代に私が生きてたらそんな感じのファンだったと思う。もしくはメッチャ気になりつつも「マジョリティには流されない」とばかりに批判ばっかりしてたかも。
公開初日だっていうのに、もう“初回限定デザインパンフレット”が売り切れ間近で、上映回数とは裏腹に根強い人気を感じた。(買ってない)
映画が終わったらソッコーで家に帰って仮眠した。